ディアゴスティーニ

バイバイ菌(this)

自己分析と悪魔と物語

この界隈は病みやすい。石を投げれば何かしらを「持ってる」人と出会える。。これはわりと冗談では無い。自論だがコンピュータとの対話、つまり物事を順序立てて、理屈的に考える行為は精神に良くなさそうな気がする。それがいざ自分に向いた途端、「自分はなんのために生まれたのだろう」「人生辛いことばかりで生きるのは合理的じゃ無いんじゃないか」「漠然とした寂しさが体にくる」

 

これらに対して1ミリも否定しないし肯定できる。最後のやつなんてヒト側の問題だと思ってる。

 

そんなことを思いつつ段々自分も欲しいものが手に入らないこと、リソースと報酬のバランス、不安定に感じている部分、能力、容姿、コンプレックスの全てに目を向け始める。自分ならではの良い所だって沢山あるのは理解しているがこういう時は悪いところしか見えなくなるものだ。

 

そのうち瞼が重くなり、夢を見始める。自分じゃない誰かの人生を生きてみたくて、今までの物語の記憶をごちゃ混ぜにして作られたファンタジーの世界に行き始めていく。

 

全員が協力をしてかっこいいドラゴンを倒す、誰かのピンチには駆け付ける、名声を得る、パーティー全員が大切な仲間であり、人生の経験を全て共有する。悲しいことは何も怒らず、青い空が見たければ見れて、緑の大地が見たければ作れる。それぞれどういった性格が良いかな。ピンチは。悲しい出来事は。物語について考えてそれが細分化されるほど自分の心はここにあらずといったようになり世の中の不安から目を背けて心だけがファンタジーの世界に接続される。この時だけが一番幸せなのかもしれない。

 

ギルドの居酒屋で祝勝会をして色々な人に話しかけられて、実は話しやすい人だと知って世界一の良い人になりたい、実はそこそこの悲しみを抱えてていちばんの人間に知られていたい。

 

自分がそのような物語を考えている間、他人は物語を紡いでいる。自分は人の多面性を知るのが好きだ。その人は自分に見せる顔、他の人に見せる顔、恋人に見せる顔、性格の探検家のようで、ある種の不安から来ているのか、自分だけに見せる顔だと満足できていないのかもしれない。人間の裏面を見ることが好きなのだ。それは価値のある情報に見えるし、自分がそれだけその人に許されたような心地になる。常に誰かに許されたくて生きている