苦しみ
苦しい。夜中が。未来が。社会が。自分が。
深夜になると胸が締め付けられる様な苦しみに襲われる。会社やTwitterで駄文を書くことは許されない。削った木材のバリで誰かが怪我をして文句を自分に言う。みんな仕事を辛いという。誰かは飲み会の後、すぐに恋人と会っていた。「MPの回復」だそうだ。なんか羨ましくて涙が出た。社会には夢が無い。耐えられるレベルの苦しみが襲い掛かり続ける。荒波になると死にたさの山を達成感の谷で耐え忍ぶ。孤独では言い表せない。詰みに向かって全速力で向かっているのを感じる。何が楽しい?何が生き甲斐?そんなものはすっからかんに。他人からの𠮟責におびえる限り人生に安寧は訪れない。そして他人から評価されるには、あまりにも能力が低すぎた。結局はこうして抑うつの波に乗って文章を書き、辛さを文字にしてゴミ箱に捨てる。夢だけ見ていたい。幸せになりたい。いや、違うのかも。もう辛くなりたくない。こんな文章も書きたくない。劣等感、全員に嫌われている感触、疑心暗鬼を生みながらのコミュニケーション、人間が段々と怖くなっていく。全員が敵に見えていく。どうか、私を見捨てないで。愛して(って思うんだけど自分からは何もあげられないからこれはまた独りよがりなんだよな)
おかしさ
レールから外れていることを自覚してきた。自分にはいろいろなものが足りない。難しいなぁ人生。
苦しい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人形が家族になった日
子供は親の人形とは良く言ったもので、親の理想像が子供に押し付けられることというのはどの家庭でも多々ある。特に私達一人っ子なんてものは子育てを知らないものだから赤ん坊のことを真っ白なキャンパスだと信じてやまず、自分の色で上から塗りつぶそうと試み続ける。
子供は無力だ。幼い頃から理解していた。親は私に「反抗期は無かった」と話すが、私はそれを否定する。これもまたテレビやネットで見るような、父親や母親と殴り合いの喧嘩のみを反抗期と呼ぶ様な、現実とは異なった結果の様に思える。今思うと私も例にもれず、常にイライラしていたし、両親に褒められるたび非常に不愉快な気持ちになった。常に馬鹿にされているのかと考えてしまい、不貞腐れた態度を取り続けた。
両親はそれをみて上手く操れない人形に対してストレスをぶつけた。そんな日々の繰り返しだった。
反抗期を過ぎたころ人形は自我を持ち出した。幸いなことに「プロゲーマーになる!」とかではない、両親が比較的安心するような方向への希望を声に出したところから両親の態度は軟化し始めたように感じる。
大学に入学する際も人は人形として振舞うことに苦痛を感じていた。親が居ないと生きられない自分がとても嫌だった。家族とは愛であり、命綱であって欲しくなかった。学部3年くらいから奨学金で自分の学費を賄い始めた。ついに親が居なくてもそれなりの生活は出来る様になった。(もちろん実家に住んでいたりしたが、最悪の最悪で親と縁を切っても大学を卒業出来るほどの道筋は出来ていた)
このころから人になれた気がする。家族をより好きになることが出来たし、自分の好きな様に振舞うことが出来る様になった。命綱は無くなり自分の力で地に立っている。「相手を嫌いになっても良い」感情が愛を作る。そんな気がした。
限界独身孤独弱者男性はドMであれ
技術の発展により責めのデジタル化ははるか遠いが、受けはある程度デジタル化出来る様になった。
催眠音声、ASMR、「言葉責め」という概念があり、音声を使用した責めは現代技術について非常に相性が良い。
mp3ファイルを目を瞑りながら聴くことで100点の環境が生み出せる。ドMであることに活路があるのでは無いか。
そういえば裏垢の人達もSは与える側でMは貰う側って言ってたな。これは上下関係とかそういう話ではない。Mだって欲しく無いものと欲しいものがあるのでSはMが満たせるようなものを与える必要がある。
そんなこんなで現代はMの人間において、ちょっとだけ生きやすくなっているのかもしれない。
自己分析と悪魔と物語
この界隈は病みやすい。石を投げれば何かしらを「持ってる」人と出会える。。これはわりと冗談では無い。自論だがコンピュータとの対話、つまり物事を順序立てて、理屈的に考える行為は精神に良くなさそうな気がする。それがいざ自分に向いた途端、「自分はなんのために生まれたのだろう」「人生辛いことばかりで生きるのは合理的じゃ無いんじゃないか」「漠然とした寂しさが体にくる」
これらに対して1ミリも否定しないし肯定できる。最後のやつなんてヒト側の問題だと思ってる。
そんなことを思いつつ段々自分も欲しいものが手に入らないこと、リソースと報酬のバランス、不安定に感じている部分、能力、容姿、コンプレックスの全てに目を向け始める。自分ならではの良い所だって沢山あるのは理解しているがこういう時は悪いところしか見えなくなるものだ。
そのうち瞼が重くなり、夢を見始める。自分じゃない誰かの人生を生きてみたくて、今までの物語の記憶をごちゃ混ぜにして作られたファンタジーの世界に行き始めていく。
全員が協力をしてかっこいいドラゴンを倒す、誰かのピンチには駆け付ける、名声を得る、パーティー全員が大切な仲間であり、人生の経験を全て共有する。悲しいことは何も怒らず、青い空が見たければ見れて、緑の大地が見たければ作れる。それぞれどういった性格が良いかな。ピンチは。悲しい出来事は。物語について考えてそれが細分化されるほど自分の心はここにあらずといったようになり世の中の不安から目を背けて心だけがファンタジーの世界に接続される。この時だけが一番幸せなのかもしれない。
ギルドの居酒屋で祝勝会をして色々な人に話しかけられて、実は話しやすい人だと知って世界一の良い人になりたい、実はそこそこの悲しみを抱えてていちばんの人間に知られていたい。
自分がそのような物語を考えている間、他人は物語を紡いでいる。自分は人の多面性を知るのが好きだ。その人は自分に見せる顔、他の人に見せる顔、恋人に見せる顔、性格の探検家のようで、ある種の不安から来ているのか、自分だけに見せる顔だと満足できていないのかもしれない。人間の裏面を見ることが好きなのだ。それは価値のある情報に見えるし、自分がそれだけその人に許されたような心地になる。常に誰かに許されたくて生きている
クソ日記
なんか辛くなったのでついにCBDに手を出す。人生のカードをまたひとつ切ってしまった。人はこうやってゆっくりと死に向かって行くんだなと実感しつつもドンキホーテでとりあえず強そうな実感!5%リキッドってやつを買ってみた。隣には1%のものもあったが今日は「そういう」気分になった。
電子タバコは吸ったことないが吸うエナジードリンクとかは経験があるので多少吸い慣れてはいる。ぶっちゃけリキッドにした理由はプカーって煙を出すのが好きだから。なんかかっこいいじゃん。裏アカ男子に憧れているわけじゃないけど。自撮りもしていないし。そんなこんなでリキッドは効果が出るのがめちゃくちゃ早くて吸って数秒で気持ち良くなる・・・・・っていう危ないやつではないので普通にリラックスする。
リラックスするってなんだよって思うかもしれないから適当に説明すると、寝る前みたいな感じになるのだ。自分は不定期に非常に辛い気持ちになるのだが割とCBDを摂取することで辛い気持ちは軽減された。そんなこんなでプカプカ吸ってたら秒で使い切ってしまいかなりびっくりしている。
地元のドンキで取り扱ってなくて変えなかったがまた見かけたら買おう。藁にもすがる思いというか、CBDに縋っている自分でした。
おまけ
・この世で一番イライラするゲームであるところのスプラトゥーンのバンカラマッチ(チャレンジ)をCBD吸いながらやると全くイライラしないしそこそこ勝てる。ちなみにCBDを吸って一番効果を実感したのはこれでした。
・飯食った後にCBD吸うとめちゃくちゃ気持ちええ、というか使い切ったらまた欲しくなってしまう時点でこれは依存性じゃないですか・・・?という気持ちに、実質タバコの様な気がする