ディアゴスティーニ

バイバイ菌(this)

人形が家族になった日

子供は親の人形とは良く言ったもので、親の理想像が子供に押し付けられることというのはどの家庭でも多々ある。特に私達一人っ子なんてものは子育てを知らないものだから赤ん坊のことを真っ白なキャンパスだと信じてやまず、自分の色で上から塗りつぶそうと試み続ける。

 

子供は無力だ。幼い頃から理解していた。親は私に「反抗期は無かった」と話すが、私はそれを否定する。これもまたテレビやネットで見るような、父親や母親と殴り合いの喧嘩のみを反抗期と呼ぶ様な、現実とは異なった結果の様に思える。今思うと私も例にもれず、常にイライラしていたし、両親に褒められるたび非常に不愉快な気持ちになった。常に馬鹿にされているのかと考えてしまい、不貞腐れた態度を取り続けた。

 

両親はそれをみて上手く操れない人形に対してストレスをぶつけた。そんな日々の繰り返しだった。

 

反抗期を過ぎたころ人形は自我を持ち出した。幸いなことに「プロゲーマーになる!」とかではない、両親が比較的安心するような方向への希望を声に出したところから両親の態度は軟化し始めたように感じる。

 

大学に入学する際も人は人形として振舞うことに苦痛を感じていた。親が居ないと生きられない自分がとても嫌だった。家族とは愛であり、命綱であって欲しくなかった。学部3年くらいから奨学金で自分の学費を賄い始めた。ついに親が居なくてもそれなりの生活は出来る様になった。(もちろん実家に住んでいたりしたが、最悪の最悪で親と縁を切っても大学を卒業出来るほどの道筋は出来ていた)

 

このころから人になれた気がする。家族をより好きになることが出来たし、自分の好きな様に振舞うことが出来る様になった。命綱は無くなり自分の力で地に立っている。「相手を嫌いになっても良い」感情が愛を作る。そんな気がした。